こんにちは!ぜろねこ(zero0necco280/@ray0_nya3)です。
わたしは発達障害の診断を受けている、と以前何度か記事にしたことがあります。
自分が「発達障害がある」と自覚していると、どうも無意識でやってしまうクセが抜けません。
と、常に思ってしまう。
どうしてもこの考えが抜けずに大人になっていました。
- この記事では、あえてわかりやすさを重視するため、「発達障害を持たない人」=「ふつうの人」と表現します。
- ダイレクトに表現するため、嫌悪感を示す方がいらっしゃるかもしれません。いち当事者の体験談のひとつとして、参考程度にお読みください。
- また、他の発達障害を持つ方への侮辱や批判ではありません。
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Contents
ふつうの人(定型発達者)への長年の疑問の一例
長年の謎①「ふつうの人」は何故、物事をすぐこなせるのか
周りを見ていると、「ふつうの人」が沢山溢れています。
これがなんだかもどかしい。
「ふつうの人」というのは、ある程度学んだりすれば、ちゃんと基準に沿って吸収が出来ていくのです。
でも、わたしは自分から掴み取りにいくのがとてもニガテ。
何か新しいことを初めても、周りにどんどん抜かれていきます。
「自分はなんだか、周りと違いすぎる。」と本当に自覚し始めたのは、小学校中学年からです。でも、わたしは普通学級のみの私立小学校に通学していました。
この時からずっとですが、
と感じるのです。
なにをどうしたら、一度や二度でそんなに出来てしまうのかがわからない、長年の謎です。
長年の謎②:自分が物事をやる度、残念な結果になっていく
上の疑問①に続きます。
新しいことを始めると、私は本当に残念な結果になります。
周りの人は、初めてでも少なからずカタチになっているのです。
でもわたしはカタチすらならない。時間をかけてもボロボロです。
- 必ず抜けが出る
- センスが無い
- そもそも自分の感性すら滅茶滅茶
- 人のマネすらニガテ
こんな状態なので、
なんで「ふつうの人は、サラっと物事をやってのけるのか」
それが長年、不思議で不思議で仕方ありませんでした。
「ふつうの人はヒーローみたいだ 」と、まるで夢見てしまっているのです。
長年の謎③:ダンスの振り付けなどのマネが出来る
これも何で出来るのかが謎です。
ダンスを教えてもらう時、人の動きをマネをします。
でも何故みんな、先生をコピーしたようにマネできるのか?
私は何度やっても上手く出来ないし、順番で振り付けを覚えていくと、動き忘れや間違いが多くなります。
長年の謎④:黒板の板書をなぜきれいな字で、早く写して、先生の話も頭に入るのか
何でこれが出来るんでしょうか?子供の頃もムリでしたが、おそらく今もムリです。
私はこの中のどれか、一つしかできません。しかも集中してです。
- 黒板の板書を写す
- 綺麗に字を書く(しかもゆっくりと)
- 先生の話を聞く
- 意味を理解する
ひとつひとつ、スモールステップに分解していって初めて行動出来ている気がします。
授業中の先生の話をずっと聞いているのは、苦手でした。
ふつうの人になりたい理由
- くだらないことにいちいち悩みたくない
- うじうじしたくない
- 遠回りの人生は嫌
- からかわれる、いじられるのが嫌い
- 変な目で見られるのが嫌、耐えられない
- 「ふつう」になるには気が遠すぎる感じがきつい
1つのことを出来るようになるまで何十倍も何百倍も、時間も労力もかかる。(そして身にならないことがほとんど)。
何かをやる度に毎度、こうなるってハゲそう!!!!無理!!!!!
発達障害を持つがゆえの、遠回りの人生です。
毎回こんな思いをし続けるので、だんだん嫌~になってくるんですよね(^^;
もう普通にふるまうような演技をすることしか思いつきませんでした。(すぐバレするのに
)
他にどんな手立てがあるのかすら、わからなかったのです。
普通になるためにやろうとしたこと、色々
ふつうの人っぽいこと、をやってみた(中学~20代まで)
わたしが望む勉強は比較的追いついてましたが、人間関係や、他の集団生活となると全然ダメでした。
例えば、基本的な人への接し方がわからない私は、いつもトラブルを起こしてばかりです。
また、不器用なので物もよく壊します。何かしら、やらかすトラブルメーカーです。
と、振舞ってやったことも、結構的外れ率が高すぎます。
以下は今までの人生のやったことの一例です。
- 部活をする
- 彼氏を作る
- 親の望み通りの人生をやめる
- 化粧をする
- 相手の言ってる事に対して、一方的に話さない(いわれて気づいたので直しました。今はまた戻ってきていますが・・)
- オシャレをする
こういった行動を「(自称)自分の中の大改革」と、呼んでいます。(めちゃくちゃ恥ずかしいネーミングですが・・・・(;´Д`))
不思議なことに、この大改革がうまく行く時期と、てんで上手く行かない時期があるのです。
- 自分大改革が上手く行く時期は、「冷静に、わたしのことを否定しないでダメなところや良いところをしてくれる人が傍にいるとき」です。
- 反対に上手く行かない時期は「なんでも否定的に捉えてくる人、根掘り葉掘り興味本位で近づいてくる人がいる時、体調が悪い時、自分一人だけのとき」です。
高校途中~20代前半は、幸い人間関係に恵まれたため、周りに支えながらですが、上手く周りとも交流して生きることができました。今でも頭が下がります。感謝ですね。
ただ、結婚後はそうもいかなくなってしまい、また元に戻ってしまったのですが。
しかし30代にもなると、周囲も大人の落ち着きや社会人のキャリアが形成される頃。
私もさすがに何年も仕事をしてきて、社会や人間の裏も経験してきているので、甘ちゃんではダメなこともわかってきています。
「ある程度落ち着いてくる30代」では、20代の方法では対処し切れなくなってきます。やり方を変える必要性を案じてきたのです。
だんだん普通に近づくための努力が無意味に思えてくる
高校中盤あたりから自分を変えたくてとにかく努力してきました。
周りに言われた悪い事は、泣いて自分を追い詰めてでも直さなきゃ、と。。
これは当たり前。
でもわたしは、結婚後は大きくまたつまづいてしまいました。
環境大きく変わったことで結婚後は子供や夫の親族との付き合い、学校の先生やママさん達、職場の人間関係など課題が山積みです。
こうなると自分だけでは対処出来なくなるので、「ふつうっぽく見せるパフォーマンス」はうまくいかなくなりました。
しかも、発達障害者が「ふつうの人」に追いつくのは、いつ頃になるのか想像もつかない。
他人を不快にさせたり、マナーやルールで円滑にするためにもやらなければいけない。
それは十分すぎるほど理解をしているのです。
人に嫌な想いだってさせたくないし、マナーは全部守りたい。
でも気を抜くと失礼な行動をしている。
結果的に周りを怒らせていたり・・・滅茶苦茶です。
そして、「後から始めた人が、もう私を追い抜いていく・・・わたしが追いつくのはいつなんだろう?」という焦りや嫉妬の感情ばかりが湧いてきます。今だってあります。
以前ご紹介した、借金玉さんの言葉を借りるとまるで「茶番」。
身になるかもわからないのに、私たち発達障害者が、一定の物事をやり続けることは、時々本気で「茶番のような気がする」のです。
そして頑張ることが、時々「ばかばかしい」と本気で思うこともありました。
心から納得しないと行動が出来ない
自分の腑に落ちないと行動をしたいと思わない。
心から、自分の納得がいく理由が無いと、行動したいと思わないのです。
なぜ変えなければならないのか、がわからないと気持ち悪いんです。
その理由を説明されずに、「あれはしてはいけない」、「これはしてはいけない」と言われるのが命令や指示をされるのが苦手。
いわゆる、「こだわりが強い状態」です。
- 決まりを守りたいから
- 自分で決めたルールや、こだわりを壊すのがとても気持ち悪い。
- ルールやこだわり、決まりを壊すときに、納得いく理由が無ければ、なるべくそのままでいたい。
- 一定のルールが壊されることへの不安や苛立ちが起こることも関係しています。
- とにかく、「いつもと一緒」は心地いいというか、安心する
多分、ここらへんが「ASDっぽい」部分なのかもしれません。
わたしの場合はADHDも併せ持っているので、「いつもと一緒」ばかりは退屈すぎてすぐ飽きます。
でも仕事だと、「いつも一緒」じゃないとうまく動けない。飽きっぽいのに矛盾している部分で、本当に厄介です。
- 頑張れば身につくのは知っている。でもわたしは人の何倍やったって身につく保障も無い。
- やらなきゃ出来ないまんま。それも知っている。でも人の何倍かけて、このことをやる価値があるのだろうか?
- そもそもまた無駄にしないだろうか。
頑張れないわけじゃないです。今までそうやって、頑張ってきたことも沢山ありました。
(ただし過集中を起こしたり、と無茶をしてきてでの話なのですが。)
しかし・・そもそも「普通」ってなんなんだろう?
「普通」という言葉はそもそも人によって、何が基準か変わります。
一般的に言われる普通は、「一人のオトナとして当たり前に出来ること」を指すんじゃないでしょうか。
普通とは
特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。「今回は普通以上の出来だ」「普通の勤め人」「朝は六時に起きるのが普通だ」「目つきが普通でない」
引用(コトバンクより):https://kotobank.jp/word/%E6%99%AE%E9%80%9A-618997#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89
ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。
この説明を読んだとき、「ごくありふれたものって嫌だなー」って、何故か思ってしまいました。
「そっか!私レアなんじゃん!!!かなり貴重な存在!!!ラッキー!!!!♪」
と考えるのもありかもしれません。
これは、単に「誤魔化している」のかもしれません。でも「自分に価値が無い」って、ずっと責め続けているのも辛くないですか?
ジョジョ番外編:「岸部露伴は動かない」に載ってたセリフに少し救われた
人気少年漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の番外編にあたる、「岸部露伴は動かない」に以前こんなセリフが載っていたことを思い出しました。
ジョジョの奇妙な冒険とは
集英社の週刊少年漫画誌『週刊少年ジャンプ』に1987年から2004年まで、そして同社の青年漫画雑誌『ウルトラジャンプ』に2005年からと長期にわたって連載されている漫画作品シリーズ。
運命に挑む覚悟と人間としての誇りをもつジョースター一族と、世界の歴史の裏で眠ってきた「闇の遺産」との数奇な巡り合わせ、そしてその巡り合わせを生み出した男・ディオとの100年以上にもわたる奇妙な因縁を巡る冒険ファンタジー。
引用元:pixiv百科事典 https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%81%AE%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E5%86%92%E9%99%BA
岸部露伴は動かない とは
「岸辺露伴は動かない」とは、『ジョジョの奇妙な冒険』における外伝作品シリーズの名称である。第4部「ダイヤモンドは砕けない」に登場する漫画家、岸辺露伴が語り手となる外伝シリーズ。引用元:pixiv百科事典 https://dic.pixiv.net/a/%E5%B2%B8%E8%BE%BA%E9%9C%B2%E4%BC%B4%E3%81%AF%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84
以下のコミックスに載っているエピソードです。
障害(というか変わった特徴)をもつ女の子が出てくるエピソードがあります。
※大まかな内容(ネタバレ含む)は以下のサイトで読めます
障害(変わった特徴)を持つ女の子を治すことができないか(普通にすることができないか)?
と相談を持ち掛けられた際に、主人公が放った一言が印象的でした。
そもそも「普通」ってのもよくわからない
引用:「岸部露伴は動かない エピソード#9 DNA」より
ああ、そうか。「普通」ってそもそも誰が定義づけたんだよ。世間なんだろうか?
でも、年齢的に出来たほうがいいことってあるよね?それを「普通」って呼ぶんだろうか?・・・と散々考えた結果。
「わたし自身」全部が「普通」である必要は無い、と結論づけました。
それはなぜかというと・・・。
「わたし自身」が失われて、「らしくない人」になってしまうからです。
そんなのって物凄く味気ないよなぁ、って思います。
でもだからって好き勝手していいワケでもない。
バランス。このバランスを身に付けている人=ふつうの人、なのかな?とこの記事を書きながら考えて思いました。
まとめ
今回は「ふつうになりたい」にとことんこだわって記事を書いてみました。
「こだわりメンドクセー!!!!」
って思った方、申し訳ありません(^^;
今後また気づきがあれば、この記事もどんどん内容が増えていく予定です。